「船橋市」誕生

 市制施行の当日、式典が盛大に催されたのは言うまでもありませんが、そのほかにも新聞社が号外(次ページの写真)を出したり、飛行機から祝賀のビラをまいたりして、新市民は喜びに浸りました。また、翌日には仮装行列、三日目には人々総出のちょうちん行列が行われ、お祭り気分は最高潮に達しました。
 

船橋市誕生を報道する新聞の号外

 
 かくして千葉市、銚子市、市川市に次ぐ県下4番目の市、船橋市が誕生しました。当時の船橋市は、船橋大神宮周辺、本町通り、中山十字路周辺が商店街であったほかは、その周辺の新興住宅地を除くと、古くからの農・漁村が大半を占めていました。
 市誕生の喜びもつかの間、3か月後の7月7日に蘆溝橋事件が勃発し、日中戦争の発端となりました。
 続いて8月には「国民精神総動員実施要綱」が決定され、11月に大本営が設置されるなど、次第に戦時体制が強化されてゆきました。
 しかし、当時まだ国民の大多数は、深刻で悲惨な時代が待ち受けているとは思わず、比較的のどかな日々を過ごしていました。