強まる戦時色

 船橋市が誕生して3か月後の昭和12年(1937年)7月、蘆溝橋事件が起こって本格的な日中戦争の発端となりました。
 13年4月には「国家総動員法」が公布され、14年9月にはドイツがポーランドに攻め入って、第二次世界大戦に突入しました。
 
 
 15年になると以前にまして、国民の日常生活を規制する法令が出されるようになりました。まず4月に米・みそ・しょうゆ・塩・マッチ・砂糖・木炭などの切符制採用が決定されました。続いて7月7日には「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令とか贅沢禁令という)が出されました。これは高級衣料品や宝石・貴金属等の禁止と制限に関する規制でした。この後各地で「贅沢は敵だ」の看板が立つようになります。
 船橋市でも、宮本や海神の一部には習志野原の騎兵学校等の将校の住宅街があって、率先してそれらを実践したといいます。
 また、行田の無線電信所は12年5月に「東京海軍通信隊船橋分遣隊」と改称されました。そしてそれまでの半自立型から、東京タワーのような自立鉄塔型にする大改造が始まりました。

昭和13年の船橋市役所。「国民精神総動員」などと掲げられています