目次
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第4章 近・現代の船橋
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戦中・戦後の船橋
太平洋戦争へ
16年10月東条内閣が成立し、11月5日の御前会議で12月1日までに対米交渉が不成立の場合は武力発動とされ、12月1日の同会議で対米英蘭開戦が決定されました。
12月8日、日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争の火ぶたが切って落とされました。
この真珠湾攻撃実行の電文「ニイタカヤマノボレ1208」は、改造された船橋市行田町の無線塔から2日午後5時30分に連合艦隊に向けて打電されたものでした。
「ニイタカヤマノボレ」を発信した行田の無線塔(昭和45年ごろ)
戦争は最初の6か月余りは機先を制した日本軍が優勢でしたが、17年6月のミッドウェー海戦以降は、アメリカ軍が猛反撃に転じました。