20年8月15日、戦争は日本の降伏で終わりました。
各地の戦争の被害・後遺症は深刻で、食糧危機も相変わらず続きました。
しかし、船橋は戦災にあわなかったも同然でしたから、疎開者の移住が継続して、人口増加が進みました。市制施行時(昭和12年)に約4万3000人だった人口は、20年秋には約6万8000人に増加していました。
そして、農産物・海産物とも集積される船橋は、市場としてたいへんな活気を見せました。特に築地の市場が再開されるまでの間は、“日本の上海”と呼ばれるほど有名な存在でした。
終戦直後の船橋