目次
/
第4章 近・現代の船橋
/
戦中・戦後の船橋
習志野原の開墾と新京成電鉄の開通
終戦後間もなく、長く軍用地として知られた習志野原の開拓が始まりました。開拓は旧軍人や一般応募者によって進められましたが、21年4月に開拓地の一部が進駐軍に射撃場用地として接収されてしまい、入植者は土地の再分配をせざるを得なくなるなど、困難な事業でした。
また、新京成電鉄は旧鉄道連隊の線路敷の払い下げを受けて21年に発足したもので、22年12月に新津田沼・薬園台間が開通し、24年に鎌ヶ谷大仏、28年に京成津田沼、30年に松戸まで延長されました。