昭和27年京葉臨海地域が国土総合開発計画法の特定地に指定され、京葉工業地帯造成の歩みが始まりました。
船槓市でもそれに呼応して27年に企業誘致条例を制定し.工業を誘致して市財源の拡充を図るため、埋め立てによる50万坪の工場用地造成を計画しました。
当時の市内の工業は、戦時中に進出した機械工業が転業や廃業するなど重工業が不振で、食品工業を中心とする小規模工場が大半を占めていました。
埋め立てに関する漁業補償問題は3年余りを費やして31年にようやく妥結し、31年12月に工事の起工式が行われました。工事は翌年から本格的に始まり、35年に日の出町と栄町、36年に西浦町が成立しました。
完成した埋め立て地には東京下町や船橋市街から工場が移転し、臨海工業団地が形成されていきました。
また、40年代には港湾整備を主目的に、県による大規模な埋め立てが行われ、50年に高瀬町と潮見町が成立しました。