鉄道網の拡充と団地の造成

 戦後の鉄道網の発達は、新京成電鉄が誕生したことに始まります。しかし、同電鉄も昭和30年代半ばまでは単線で、1~2両の運転でした。それが大きく転換するのは昭和35年に前原団地、36年に高根台団地が造成されてからで39年には市内の複線化が完成しました。
 

完成間近の高根台団地(昭和36年)

 
 40年代に入ると通勤地獄とまでいわれる国鉄総武線の混雑緩和と、都心への時間短縮を目的に、まず44年3月に地下鉄東西線の西船橋駅までの延長が実現しました。続いて47年7月には津田沼・東京間に総武線快速電車が開通しました。
 53年10月には国鉄武蔵野線が西船橋駅まで延長され、54年3月には北総開発鉄道が北初富・小室間に開通し、平成2年3月にはJR京葉線の東京駅乗り入れが実現しました。
 その間42年に習志野台、43年に夏見台、44年に若松、46年に金杉台、51年に行田、52年に芝山の各公団々地が造成され、また47年に入居開始の船橋グリーンハイツ(緑台)をはじめとする、民間団地の造成も盛んに行われました。
 その結果、昭和25年に10万人であった現市域人口は、39年に20万、44年に30万、49年に40万と大幅に増加を続けました。この人口急増現象は50年代中ごろからやや鎮静化して来ましたが、58年9月にはついに50万人を突破しました。