スポーツ健康都市

 市の人口が50万人を突破した昭和58年には、今や船橋の都市イメージともなった「スポーツ健康都市宣言」が行われました。スポーツを通じて、すべての市民の健康増進と青少年の健全育成を図りながら、人口急増都市の新しいコミュニティーづくりをと願っての宣言でした。10月10日体育の日に運動公園で行われた記念フェスティバルには5万人の市民が参加し、様々なスポーツにさわやかな汗を流しました。
 

「スポーツ健康都市」を宣言する大橋和夫市長

 
スポーツ健康都市宣言

 
 全国で初めての屋根付きゲートボール場と、ナイター照明付きの中学校校庭の夜間開放につづき、59年からは公共施設の駐車場や民間の遊休地を利用し、テニスやバスケットボールなどが楽しめる「まちかどスポーツ広場」が開設されました。60年に海老川沿いに整備されたジョギングロードでは一流選手から市民ランナーまでが走り、61年には地域のスポーツリーダーを育てるための「スポーツ健康大学」もスタートし、その卒業生は400人を超えました。
 そして、スポーツ健康都市・船橋の名を全国に響かせたのが青少年の活躍でした。中でも、宣言が行われた58年に体育科が設置された市立船橋高校の生徒たちの活躍は、市民スポーツの裾野を広げ、市民のまちへの愛着を深めました。61年の全国高校駅伝での男子優勝に始まり、サッカー・女子駅伝・バレーボール男子の全国制覇、野球部の春夏甲子園での活躍など、優秀な指導者のもとで若い力を思い切り伸ばして欲しいという、体育科設置のねらいは見事花開きました。
 

平成4年12月、3年ぶり2回目の日本一に輝いた市立船橋高校女子駅伝チーム

 
 こうしたスポーツ健康都市づくりは船橋を活性化させ、さらに魅力ある都市へと変身させる一つの契機となりました。