解題・説明
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絵はがき-028~035は、同一シリーズ。袋と写真は絵はがき-026 ・027のシリーズに同じ。演習時の宿舎。演習場の最も南側、日露戦争(明治37~38年、1904~05)のロシア兵捕虜収容所であった所に建てられた。写真にある出入口と建物の様子は、昭和3年(1928)修正測図の1万分1「習志野演習場」図に記された門・建物の配置に一致している。地図によれば、高津西廠舎(西廠舎)、高津東廠舎(東廠舎)はそれぞれ土塁で囲われていた。西廠舎の西側に約100mの間を空け、23糧秣廠倉庫があった。西廠舎は現在の習志野市東習志野2丁目のほぼ全域、東廠舎は同東習志野3丁目のおよそ東半分の区域にあたる。なお、捕虜収容所は演習場の南東角の区画に縮小された。後になって(昭和4~8年頃?・1929~33)収容所の西外側の区域を加え、東新廠舎が造られた。
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