解題・説明
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越中・美濃間の北国通路を守るため、郡内の門徒統一のために最勝寺とともに郡上へ移転したもので、当時は番衆ともいわれた即戦力の集団であった。前住地大榑(おおぐれ)荘(安八郡輪之内町)から天文七年(1538)に郡上郡野里村(白鳥町大島)へ移り、二度郡上へ侵入した飛騨勢と戦った。元亀年間(1570~73)に織田信長に逆らい一時飛騨白川へ退去したが、天正三年(1575)に許されて帰住した。遠藤氏に替わって郡上へ入部した稲葉氏の要請で天正十九年(1591)に中坪村園野(八幡町中坪)へ移り、幕末には「郡上御坊」と言われた。明治十三年に大手芝野の一画を整地して移り今日に至った。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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