解題・説明
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小野の滝山にある。慶長五年(1600)遠藤慶隆(よしたか)・金森可重(よししげ)と稲葉貞通軍との合戦に、金森方の将兵五十余人が戦死した。後可重の子孫金森頼錦(よりかね)が八幡城主の時代、祖先の遺跡を懐かしく思い、当時の戦没の将兵の慰霊碑を建てた。飛騨国主の金森可重は徳川家康の命によって加茂郡小原(白川町)にいた遠藤慶隆の八幡城攻略に従った。八幡城の戦いは延宝二年(1674)書写の「八幡城合戦図」に詳しい。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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