江戸時代後期、13代藩主毛利敬親は、文武奨励と全藩的な人材育成のため、明倫館の規模の拡張と移転を決意した。嘉永2年(1849)萩城下中央部の江向に完成した新明倫館(重建明倫館)は、15,184坪(50,195㎡)の広大な敷地に文武稽古場のほか、周発台稽古場、練兵場などを有した。この絵図は「旧萩藩明倫館之図」と称される。