港湾

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 かつて北洋漁業の基地として、又、主として水産品の輸出入、移出入の最盛期と比べると、今日の函館港の利用度は大幅に減った。しかし、国鉄青函航路の利用は物資、乗客共に昭和50年までは年々増加をみたが、民間のトラック輸送、航空機との競合のため、その後再び減少し、本州-北海道の中継点としての意義は弱まってきている。昭和39年7月から開始された民間フェリーボートは、自動車輸送の増加、自家用車の普及等を反映して便数、隻数とも急速な増加をみせ、航路も当初は函館-大間のみだったのが、更に函館-青森、函館-野辺地の航路が増設されて、昭和48年には輸送車両台数約49万台となり、開設当初の昭和40年の約49倍の増加を示した。しかし、その後本州-北海道他港間の長距離フェリーボート航路の開設の影響を受けて、停滞傾向にある。
 輸出は函館ドック株式会社の新造船舶を除くと他は僅少なものであり、輸入ではアジア石油株式会社への原油と北洋材、南洋材等が大半を占めている。