戦後の推移

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 第2次大戦の終了した昭和20年には、世帯数39,397、人口181,531人と昭和5年当時の規模にまで低落した。その後復員者の増加、海外からの引揚者の増加により昭和22年には戦前までの規模に復調し、24年には戦前の規模を上回る世帯数、人口となった。
 昭和25年の第7回国勢調査では、世帯数47,736、人口228,994人となり、5年前の終戦時の世帯数の1.21倍、人口の1.25倍を示した。
 昭和25年の就業人口の産業別構成は、卸・小売業21.3%、製造業19.5%、運輸・通信・ガス・水道業14.3%、サービス業12.7%、建設業8.3%、漁業6.7%、公務・自由業5.6%、金融・保険業2.8%、農業2.4%、その他6.9%である。戦前と職業構成の分類の仕方が大きく変わっているのでその一部しか比較できないが、戦前の商業にはサービス業が含まれていることから、この両者を合計して比較すると34.0%となり、昭和15年の商業を4%程上回っている。また、漁業は北洋漁業の停止、沿岸漁業の不振から大幅に戦前の比率を下回っている。
 昭和29年年世帯数は5万台に達し、人口も24万人を超えた。昭和30年代には人口が25万人台に達したが、同30年代の後半から隣接する亀田地域の宅地化が進められると、人口の増加はストップし、昭和43年から減少に転じた。しかし、世帯数は全国的な核家族化の進行を反映して増加している。函館市の世帯の平均家族数は、昭和30年の4.8人から昭和40年の3.8人、更に昭和47年の3.1人と減少している。
 昭和40年の就業人口の産業別人口構成は、卸・小売業21.6%、運輸・通信・ガス・水道業18.8%、製造業18.1%、サービス業15.0%、建設業12.3%、公務・自由業6.0%、金融・保険業3.6%、漁業2.7%、農業1.0%、その他0.9%となっている。これを昭和25年の数値と比較すると、漁業・農業の第1次産業は大幅な後退を示し、代りに都市への集積を特徴とする建設・運輸・通信・サービスの各部門への就業人口の傾斜が認められる。

昭和21年(1946)~昭和47年(1973) 人口・世帯数の推移