食物は米を常用し、奥羽および北陸地方から供給を受け、この地方が凶作の年には中国や九州地方からこれを求めたので、はなはだしい困難はなかった。それがため奥羽地方の凶作の年などには、ひそかに渡航して餓死を免れた者も少なくなかった。副食物は魚類および蔬菜で、魚類は鰊・鮭などを主とし、鰊は鮓(すし)、片身おろし、割鰊、ぬかづけ、塩づけおよび大根と漬(つ)け混ぜた物などがあった。鮭は塩引、楚割(そわり、頭を除き皮に肉を薄く付けて乾したもの)、荒巻、鮓、筋子などがあって、常に貯えておいて種々に調理して食した。蔬菜は近村から出たが品不足で高く、果実は近村に梨・李などがあるが、多くは他の地方から移入し、冬期の蜜柑は最も珍重された。