区内協議費の支出費目には、当初「公立学校費」「塵焼人給料費」「市街便所費」「公園地費」「会議費」「悪疫予防費」「無資力区民埋葬費」の7項目が挙げられた。明治12年下半期の区内協議費予算及び決算表(表2-39)をみると、公立学校費が突出しており、まるで区内協議費は公立学校費のために設けられた感があり、この傾向はその後も変化なく続き、函館区の大事業水道敷設の際に学校費の扱いが大きな問題となっている。
表2-39 明治12年下半期(13年1月~6月)区内協議費予算及び決算
項目 | 金額 | 経費配分率 | 備考 | 決算額 | 経費配分率 |
塵焼人給料費 市街便所費 内新築費 掃除費 修繕費 公園地費 無資力区民埋葬費 公立学校費 内宝学校費 住吉学校費 学務委員給 会議費 総計 | 円 231.000 517.800 330.000 172.800 15.000 194.290 25.000 2,537.568 2,034.996 412.572 90.000 3,505.658 | % 6.59 14.77 5.54 0.71 72.38 | 塵焼場6か所 7人×5.5円×6月 22か所×15円 24か所×0.9375円×4月 46か所×0.9円×2月 10か所×1.5円 看守給料1人×10円×6月 雇給69.75円 その他64.54円 5人×5円 教員給料(14名)等 教員給料(3名)等 函館区会費用(補正?) | 円 231 139.822 0.000 135.042 4.780 91.700 0.000 1,970.656 1,658.690 311.966 0.000 640.416 3,073.594 | % 7.25 4.55 2.98 64.12 20.84 |
「函館区会資料」より作成
これらの費目は、学校授業料、公園貸地料、共有金よりの学費補助などを除いた分が函館区民に割付けられ、費目ごとに徴収方法が定められた。「公園地費」「会議費」「悪疫予防費」の3項目は地価割、その他は地方税の柱である戸数割税に準拠した建物割となっている。その後、「公立学校費」以外はすべて地価割に変更されている。徴収時期は7月(単年度は7月から翌年6月)と翌年1月の2期で、大小区費のときとは反対に予算段階での前納制が採用され、支払い時期まで銀行に預ける体制となった。
地方税、区内協議費及び国費(開拓使経費)の関係を函館区役所を中心に整理すると次のようになる。函館区役所の区長区書記雇等の月給、戸長役場の戸長雇等の月給等の人件費及び役所役場内の諸費と庁舎建築修繕費は、開拓使函館支庁が所管する郡区役所戸長役場経費から支出され、区内の事業費的経費は、函館区役所が所管する区内協議費が対応する体制となった。さらにそれまで小区扱所が所管していた小区費対応の部分は、町内限りの経費(町内協議費)ということで連合町内に任された。また函館区を含む広域に係る経費は、開拓使函館支庁が国費をもって対応した。
明治15年に、開拓使が廃止され函館県が置かれると、この関係が若干変化している。函館県では県令以下の県職員給料等の人件費と庁費は、国費をもって対応、地方税対応の地方費が郡区役所戸長役場経費だけでなく、函館県管内一般の地方行政費を含むこととなり、函館県庁が所管する体制となったのである。その地方費から給料を支給された区長区書記が、函館区役所にあって区内協議費を所管する(区会議決を経て)という図式は変わらなかった。この函館区役所の人件費及び庁費が区役所所管費外から支出される体制は、19年に函館県が廃止されて北海道庁が設置されても変化はなく、区費中に区役所の人件費が組まれるようになるのは、32年、自治制の函館区誕生まで待たなければならなかった。
なお、区費という名称は、北海道庁が明治20年5月に「区町村費ヲ以テ支弁スベキ費目ヲ定ムルコト左ノ如シ 但シ費目ノ増加ヲ要スルトキハ(戸長ハ郡長ヲ経テ)長官ノ指揮ヲ受クヘシ」(明治20年『北海道庁布令全書』)との訓令(第30号)を出して、区町村の支出費目を整理したのを受けたもので、以後協議費という名称は消滅、区費と呼ばれるようになったものである。ちなみに、そのとき挙げられた費目は、会議費、土木費、教育費、教育補助費、衛生及病院費、警備費の6項目である。