区会規則作成

383 ~ 384 / 1505ページ
 規則作成については、函館支庁が主張したように区長を中心に草案作成を行ったか、東京出張所の指示に従って函館支庁が作成したかは不明である。また、時任大書記官が8月の時点で区長が草案検討を開始していると述べているのもどの程度のものか不明である。しかし、かねてから病気を理由に辞職を願い出ていた区長常野正義が12月11日辞職を認められ、函館支庁の9等属から区書記となっていた桜庭為四郎が13日区長心得に就任している状況からみると、函館支庁主導で区会規則の作成が行われたと思われる。また区会規則作成の際、参考としたのは東京府の区会規則で、これは東京出張所が開設許可通達と同時に送ったものであるから、この面からも支庁主導で規則作成が進められたことをうかがわせる。
 明治14年1月8日、函館支庁は区会規則を裁定布達(明治14年「函館支庁上申録」道文蔵)し、12日その旨を黒田長官へ上申した。なお裁定布達と同時に函館区の区総代人は廃止された。
 区会規則は総則、選挙、議則及び開閉の4章80条からなり、府県会規則・区町村会法に手を加えた東京府区会規則を下敷に作成されたものであるが、第6条は区町村会法・東京府区会規則を大幅に改定、区町村会法・東京府区会規則にない再議・3議の制を設け、非常に議会の議決権を重視する改定となっている。
 
[函館区会規則第一章第六条]
区会ノ議決ハ区長若クハ其代理人、之ヲ施行スト雖モ、其施行五日前(土曜日、日曜日ヲ除ク)当庁ニ報告スベシ。尤議決ノ施行スベカラズト思慮スルトキハ、其事由ヲ議会ニ報告シ、原案再議ヲ求ムベシ。再議ノ会場ニ於テ、五分ノ三以上ノ同意ヲ動議ニ得ルニ非ザレバ、其動議ハ行ハレザルベシ。
再議尚施行スベカラズト思慮スルトキハ、又、事由ヲ弁明シ、原案三議ヲ求ムベシ。三議ノ会場ニ於テハ、三分ノ二以上ノ同意ヲ動議ニ得ルニ非ザレバ、其動議ハ行ハレザルベシ。
再議尚施行スベカラズト思慮スルトキハ、又、事由ヲ弁明シ、原案三議ヲ求ムベシ。三議ノ会場ニ於テハ、三分ノ二以上ノ同意ヲ動機ニ得ルニ非ザレバ、其動機ハ行ワレザルベシ。三議尚施行スベカラズト思慮スルトキハ、当支庁ニ具状シ、指揮ヲ乞フベシ。
(同前)

 
 府県の区会より議会の権限を制限すべきだと主張した東京出張所は、この点に重大な関心を示した。裁定された区会規則の上申後、出張所での評議では、検査係堀貞亨が、「第六条、議決ノ施行スベカラズトスル者ヲ三回迄区長限ニテ草案ヲ議セシムルハ、成規ニ触レ旦議事応ズル所ヲ知ラズ、之ニ加テ最初ノ目的、即チ讃同ノ為メ設ラルモノ云々ト、大ニ其旨趣ヲ殊ニシ、区会ノ権限重キニスギ候ニ付左ノ通改定ノ方歟、第六条、区会ノ議決ハ云々、当支庁ニ報告スベシ、若シ其評決ヲ不適当ナリトストキハ、其施行ヲ止メテ当支庁ノ指揮ヲ乞ベシ」と指摘した。これをうけて東京出張所は、2月14日3議を再議までと改定し再度上申するよう、函館支庁へ指示した。函館支庁がこの指示をうけて、第6条の改定を考慮したかどうかは不明であるが、「函館区会規則書」には改定の跡はみられないのである。しかし、この3議制も、函館県設置後の函館区会で区会規則の改定が行われた際、区役所提案の原案は3議制のままであったが、区会の審議の中で3議制は改定され、再議後県庁に具状して指揮を請うことに改められ、異議なく議決されている。
 区会開設を進める動きの中で、函館支庁は、開拓使の最高決定機関である東京主張所の意に反して、非常に住民自治を尊重する方針で臨んでいたといえる。