事件の発端

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 「東京横浜毎日新聞」(自由民権派…社長沼間守一)は、明治14(1881)年7月26日から3回にわたって「関西貿易商会の近状」と題した論説を掲載した。関西貿易社(発起委員五代友厚、中野梧一、杉村正太郎、内田三郎兵衛、田中市兵衛)に開拓使の諸事業及び船舶等一切が払下げられるらしいという風説を紹介し、北海道の諸産業を民間会社ただ1社に委ねることの弊害を列挙、開拓使への非難を開始、払下げの一部を「東京箱崎町ノ開拓使物産取扱所ハ建築ノミニテ八万円ノ多キヲ費シ之レニ地価ヲ算入セバ少クモ十二、三万円ノ価ヲ減ゼズ、又北海道函館ニ開拓使所有ノ貸倉アリ、此貸倉モ最初費用ヲ厭ハズ建築シタルモノナレバ、実価少クモ七、八万円ヲ下ラザル可ラザル可シ、今貿易商会ニ払下ゲントスル価額ヲ聞クニ、東京箱崎町物産取扱所ハ三万円ニテ売リ渡シ、函館貸倉ハ七千円ニテ払下ゲ、加エルニ無利足卅ヶ年年賦ノ約束ナリト、是レ売払ニアラズシテ寧ロ無代給与ナル者ナリ」と推定した。。そして払下げがまだ政府閣議では未決定という観測から「此(払下げ)契約ノ如キ、一国政治ノ利害ニ関スル者ナレバ、開拓長官ノ紹介ニ依リ内閣諸公ノ承諾ヲ得ル事是ナリ、我々新聞記者ハ之ヲ論ズルノ自由アリ、之ヲ拒ムノ実権ナシ、我正明ナル内閣諸公ヨ……北地全道ノ生霊ヲ挙テ一商会社ノ手中ニ生殺セシムル勿レ」と結んだ。
 続いて「郵便報知新聞」(自由民権派…社長小西義敬)が7月27日から4回連続で、「開拓使廃止ノ結局如何」と題して「開拓使ノ民業ニ干渉スルヨリ生ズル得失利害ニ関シテハ、(東京横浜毎日新聞記者と)幾ンド同意見ト云ハザルヲ得ズ、蓋シ天下ノ公義ナリ」と論陣を張った。
 さらに8月に入るといよいよ開拓使の物件が、関西貿易社へ払下げられることが本決まりになったとの情報が流れ、「郵便報知新聞」は、4日、「仰訴天」と題して許可の模様と許可内容を次のように報じた。
抑モ北地開拓ノ為ニ十年来消費スル所ノモノハ千三百余万円ニ及ベリ、其今日ニ存シテ、公費ヲナスモ猶三百余万円ノ時価アリ(中略)其長官黒田君ガ請求スル所ニ随イ、開拓使ニ付属スル諸製造所、試験場及ビ建築地面等悉ク無利足三十ヶ年賦ニシテ而カモ至極ノ低価ヲ以テ一商社ニ売却スルニ決シタリ、去月二十九日即チ御発輦ノ前日迄ハ未ダ許可ノ御沙汰アラザリシト、而ルニ去月三十日御発途ノ後、大臣ノ奏請ニヨリ御小休所ニ於テ特旨ニヨリ御許可アラセラレタリト、是レ今日ニ行ハルルノ風説ニシテハ、或ハ世人ノ認メテ信ナリトスルガ如シ、然レドモ余輩ハ未ダニワカニ之レヲ信ゼザルナリ
(八月八日付)

 
 翌5日には、「朝野新聞」(自由民権派…社長成島柳北)が「北海道ノ事ヲ論ズ」という題で払下げの実態に迫る次のような論説を掲げた。
 
毎日新聞ハ関西貿易商会ヲ以テ此ノ締約ノ主ト為シ、開拓使中ノ或ル官吏ヲ以テ客ト為シタリト雖トモ、我儕ノ聞ク所ハ之レニ反スレバナリ、其ノ風説ニ拠レバ開拓使中四五名ノ官吏ハ、今回北海道政略上ノ変革アランコトヲ察シ、自カラ其ノ官職ヲ辞シテ商賈ト為リ、従来該使ガ有スル三十余ヶ所ノ製造場ニ就キ其ノ最モ利益アル者ヲ払ヒ下ゲ、以テ北海道ノ商権ヲ掌握シ其ノ威力ヲ奮テ一挙ニ陶朱ノ富豪ヲ博取セント企望スト云フ、而シテ他ノ商会ノ如キハ、此ノ四五輩ヨリ輸出スル所ノ物産ヲ取リ次ギ、余利ヲ其ノ間ニ得ント欲スルニ過ギズ(中略)其結果ハ開拓使廃後ニ於テ、一ノ開拓使ヲ存シ、依然トシテ十一州ノ改良進歩ヲ妨害スルニ至ラントス、我儕何ゾ黙シテ其ノ私心ヲ論責セザルヲ得ンヤ

 
 その後、8月10日にはついに「東京日日新聞」(政府系…社長福地源一郎)も「開拓使管轄ノ官有物ヲ関西貿易商会ニ売渡スコトニ議定セラレタリトハ、夫レ信ナル耶、吾曹コレヲ信ゼザリシナリ、信ゼザリシニ非ズ実ニ信ズルニ忍ビザリシナリ」との書き出しで始まる「開拓使ノ処置」と題する社説を掲載、東京の新聞は開拓使攻撃一色となった。