両社の任務分担

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 癒着関係というか提携関係というか、開拓使官吏の北海社と関西貿易社の関係を示す格好の資料が、「五代友厚関係文書」中に残されていたので次に紹介する。
 
今滋ニ甲乙ノ両者合併ノ実際ヲ深案考思スルニ、内外ノ形勢ニ依テ大ニ注意ヲ要セサル可ラサルノ時ナリ、故ニ着手ノ順序ヲ其始メ二種ニ分ツベシ
○甲ハ一ノ会社ト、其名義廃官ノ者数年ノ労ヲ賞センガ為メ一ツノ継続会社ト称シ、開拓使ニ於テ尤モ利益アル左ノ件々ヲ引受ベシ、其希望スル所詳細ハ左ノ如シ
一、蒸気船三艘 帆前船三艘、
 是ハ務メテ永年賦ヲ以テ払下グベシ、尤モ其抵当トナルモノハ其船ヲ以テス
一、開拓使諸税品一切
 是ハ明治十五年ヨリ向ウ十ヶ年即チ明治二十二年マデノ間売捌キノ権ヲ任スヘシ、猶詳カナルハ別紙ニ付ス(別紙なし)
一、将来見込アル外ニ二、三点
 是ハ当時調査セラレタル各事業ノ中ヨリ乙ニ依托シタル件々ノ外ニ於テ有益アルモノヲ選ブ
右三ヶ条ハ公然タル名義ヲ以テ十分ノ特別法ニ由リ払下クヘシ、其名義ヲ拡張スルノ主義ハ、抑モ開拓使創業ノ際ハ今日ノ北海道ニ非ス、実ニ僻遠ノ曠野ニ厳寒ヲ厭ハズ、自カラ鍬ヲ執リ自カラ○○(ママ)シテ開拓ノコトニ従事スルハ、陽ハ報国心ノ厚キニ出ルガ如シト雖モ、人各々其望ム所アルガ故也、然ルニ開拓使ハ本年ヲ期シ廃止スルモノトセバ、既ニ数年ノ艱苦ニ耐ヘタルモ、労シテ効ヲ有セザルガ如シ、開拓使ノ存廃利害ノ帰スル所、已ニ廃スルヲ以テ利トスルモ、従来従事セシモノ無益ニ属スルモ妄リニ之ヲ廃人ト為スハ実ニ忍ヒサル所ナリ、故ニ開拓使役員ノ中ヲ部分シテ、一ハ役員ト為シ従来ノ事務ヲ相続セシムルモノ、一ハ官ヲ止メ継続会社ノ社員トナリテ財計ノ道ヲ守リ、前陳廃人ノ為ニ生計ヲ与エントス、然リト雖モ今此際ニ当テ、財計ノ道ヲ務メントスルモ、要スル所ノ資財ナキトキハ其意旨ヲ得ル能ハズ、去トテ今政府ヨリ更ニ資本ヲ貨与スルモ或ハ不可ナルヘキヲ以テ、前陳ノ三ケ条ハ特別ヲ以テ処断スルノ云々
本文ノ主義ニシテ特別法ヲ以テ継続会社ノ資本トス、之ヲ甲ノ組織ノ発端トス
○乙者着手スル件々ハ其為義貿易ヲ拡張スルノ主意タルヲ以テ左ノ件々ヲ払下クベシ
一、イワナイ石炭坑
 是ハ相当ノ年賦ヲ以テ払下ケ、専ラ海外輸出ニ供スヘシ
一、ホロモイ石炭坑
 是ハ本年ヨリ十五ヶ年ノ間売捌キノ任ヲ命スルコト
一、鱒ノ缶詰所
 是ハ亜細亜地方及ヒ欧米各国ニ輸出センガ為メ払ヒ下クベシ
一、山林
 是ハ亜米利加・支那地方ヘ輸出センカ為払ヒ下クベシ

 
 甲を北海社、乙を関西貿易社とすると、そのままぴったりとあてはまるといっても過言でない。北海社と関西貿易社は、最初から合併を前提に考えられ、世論攻撃をも想定した配慮から別会社で出発することにしたものであった。
 この資料では、北海社は「継続会社」という仮称で登場、開拓使で最も利益のある物件の払下げが考えられていた。第1が船舶で、五代らが北海道に着目した際に最優先項目としてあげた輸送手段の確保であった。第2は諸税品の売捌き権で、開拓使が興した事業の継続は第3で、その上事業全体を継続するのではなく将来見込みのあるものを2、3点選択して払下げを受けようとするものであった。「継続会社」は、開拓使の事業中、利益を上げうるもののみを引き継ごうとした会社で、さらに、廃使により職を失うと思われた開拓使官史の救済事業という面を強調していた。この文章がいつ作成されたかは不明であるが、おそらく五代らが上京中のことと思われる。五代らと開拓使の幹部は、払下げ計画について綿密な打合せがなされていたわけである。
 前述の安田定則ら4書記官の請願書は、この原案を開拓使の事業継続という建て前論で加筆したようなもので、払下げ物件はほとんどそのままの形で取り込まれている。
 新聞諸紙が、″開拓使の4書記官が払下げを受けた物件を手土産に関西貿易社の社員となる計画だ″と指摘したのは、核心を突いたものであったのである。