滝野善三郎の小伝が函館で出版された工藤忠平編著『開道五十年記念北海道』にのっている。これによると、滝野善三郎は、慶応元(1865)年大阪の人入れ稼業の家に生まれた。祖父三郎の時、明治4年三菱会社大阪支店が回漕部を設置したが、その時、その専属荷役扱人となった。その後、明治13年(1880)年、三菱会社函館支店設置と共に函館に渡り、同社の専属請負人となり、26年3月53才で没した。明治18年、三菱会社と共同運輸会社が合併し、日本郵船株式会社になった時、同社の専属請負人となった。彼はまた、陸上貨物運送のため大阪式荷馬車を輸入して普及させた。ちなみに彼は、「全区の建築法不完全なるを見て、自ら率先して自家邸宅に模範的防火壁の設備を施設し一般に模範を示して之が其範に努む」という(前掲書)。