近代的労務管理

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 人夫らは、労働日(1日8時間、午前8時~午後4時)、服役規則、賃金を明示され、官の直轄工事(後至急を要するため、一部請負に出す)で、雇用されている。明治20年以降の鉄道、道路工事、土木請負業の人夫小屋=飯場制の、破廉恥かつ人権無視の搾取に比べると、天国と地獄の差がある。
 一体、この驚く程の近代的労務管理は、どんな意味を持っているのか。これだけ見ても、この札幌新道は、大へん興味深い。恐らく工事の設計、監督が、お雇い外国人によって、直接、行われたことにも関係があろうし、廃藩置県後の武士の新政府の輝しい大開拓事業に参加するという精神が、支柱になっていたに違いない。精神的には、産業資本時代とは全く異なる、封建的幕藩制そのままの「武士の商法」である。しかし、経済的には全く純然たる賃労働(雇用主は政府)であり、産業資本時代の「資本と賃労働」の形態をとる。
 
 表5-14 人夫等賃金
 
器械師
大工
左官
塗物師
土方
  円
0.666
0.499
0.446
0.417
0.292
鹿児島人夫
大主取
小主取
上夫

0.500
0.438
0.375

 『開拓使事業報告』より
 
 『開拓使事業報告』によれば各請負人は人夫50人、指揮役1人、世話役2名を以て1隊とし、各隊は隊旗を立て人夫は法被の背に開字の章を付し、襟に受負者の姓を記していた。あらかじめ定められた就業時間は午前8時より午後4時の8時間、賃金は表5-14の通りにきちんときめられた。ただし道具職及び石工の賃金は器械師に準じ、木挽、船方、建具職、鍛冶は大工に準じ、畳職・棍棒職・屋根職は左官に準じ、表具職は塗物師に準じた。なお疾病風雨等のための休業はその3分の1を給し、公事の負傷などによる休業は検査の上斟酌増減という、敗戦後の近代的労働法に匹敵する待遇をしている。
 また、人夫中、故なく帰国を出願し、あるいは身体不具に至り、労役に堪えぬ者も出てきた。そこで、次の規則を定めた。
 
      徴夫帰国概則
一徴夫、無余儀事故アリテ帰国願出ル時ハ、事情取糺シ、処分スヘシ
一身体不具ニ至リ到底労役ニ堪ヘサル者ハ便船次第差返シ其船賃ハ官費トス
一帰国手当ハ身体不具者ノ外、都テ陸行ト見做シ、一日十里詰ヲ以テ金二十五銭ヲ給ス、但函館ヨリ奥地冬季詰里数ハ本道一般ノ成規ニ従フ
一手当渡方ハ帰国許可ヲ得ルノ地ヨリ其郷里マデノ分ヲ一時ニ給ス
一自己ノ都合ニ依リ帰国スル者ハ、假令、許可ヲ得ル者ト雖モ手当ヲ給セス
(『開拓使事業報告』)