近代陸上交通における馬車鉄道

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 そもそも、馬車鉄道はヨーロッパでは鉄道の最初の形態であって、蒸気機関車が実用化される以前に用いられた。しかし日本ではかえって蒸気鉄道より遅れて採用され、明治15年に開業した東京馬車鉄道が最初のものであった。馬車鉄道が大都市の市内交通として用いられたのはむしろ例外というべきもので、大部分は、軽便鉄道と同様に、地方小都市より大きな都市へ、あるいは幹線道路との連絡を求めて建設されたものであった。馬車鉄道は一般に道路上に敷設され、通常の馬車とくらべて輸送力、速力ともに向上させることが可能であった。馬車鉄道の建設費は蒸気鉄道のそれと比べて小さいため、資本蓄積の乏しい地域会社においても比較的容易に建設することができた。その分布は明治20~30年代を通じて増加を続け、明治末期に最大となった。しかし馬車鉄道は馬匹の飼育、管理のための経費が高価につき、明治30年代以降その合理化のために新しい動力-電気、内燃動力など-を摸索するようになる。道路上に敷設される馬車鉄道は、明治23年8月公布の軌道条例によって監督され、道路行政の一環として、内務大臣の特許を受けて建設された。軌道条例はその後、馬匹に加えて、人力、電気、蒸気、内燃などの動力の鉄道にも適用された。明治40年度末には、馬車鉄道37社、人車鉄道11社の営業が行われていた(『近代日本交通史』)。