函館木造桟橋の築設

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 青森港の施設改良の方は、第2船入の建設、連絡待合所の新設、艀船用浮標の設置程度で、これといったものはなかったが、これは「函館港に比し、地勢が悪く、防波堤築造という大工事が先決問題だったので、当分は艀船による他はなかった」(前掲書)。
 函館港の改良は、めざましかった。とに角、連絡船横付桟橋を建設したからである。これこそ、国鉄青函連絡船の新しい出発であった。函館港に若松埠頭という、ロールオンロールオフ船発着埠頭が出現する第一歩が踏み出されたと称すべきであろう。再び、『青函連絡船史』を引用する。        
 
    木造桟橋の築造
函館港は海底の地質は良くないが、浅いので木造桟橋を築造することとなり、明治四二年着工、翌四三年十二月十五日から使用開始した。この桟橋は、海中へ杭打した木造のもので、延長一、一二八フィート(三四二米)巾三三七フィート(一〇米)埠頭面積九三三坪(九、〇八四m2)で、その突端に連絡船を南北に接岸できるようにしたT字型桟橋であった。この桟橋ができてから、函館側では、旅客は直接桟橋で乗下船ができるようになり、又手小荷物は桟橋でおろして、トロリーで運搬された。しかし他の一般貨物は従来どおり艀船を桟橋の連絡船に横付けして荷役を行った

 
 かくして、連絡船の乗り心地は、函館港に関する限り、飛躍的に上昇したことになる。函館港は、ここに、従来の港湾の東側に、新しい近代港湾、国鉄若松埠頭を、新設したことになる。函館港第二の出発である。