ところで、この表6-39(明治初期の商工行政と商工会参照)において北海道に関係するのは、明治22年札幌、小樽、函館の3都市に設立された勧業会組織である。そこで次に、これら札幌・小樽の両地域における商工業者の自主的組織の結成過程について触れてみたい。
この中で最初に商工団体の設立されたのは、恐らく小樽であろう。小樽では、明治16年4月に興商会が設立され、書籍や新聞を購入して一般の閲覧に供するとともに、業者間の取引の紛争や商業上の質疑に応えることを目的に一定の活動を行っていた。次いで同21年、商業、教育、衛生等の諸事項を協議する協同談話会が設立され、さらに翌22年7月、札幌や小樽の農・工・商業者を中心に農工商会が設けられた。こうした勧業会組織は、全国的にみると「商工業者の組織と農業者の組織に分けて設立された」が、この札幌や小樽のように「農工商一体の勧業会」というのは「例外」的存在とされている(前掲『商工会九十二年史』)。同会は「農工商の実況を視察し、改良進歩を計るのを目的としたもので、毎年一、四、十の各月に定会を開いた」(『小樽市史』第2巻)。会員は、明治23年現在74名で、会頭は倉橋大介、副会頭には船樹忠郎といづれも地元の有力者が就任している。
明治24年、この農工商会が解散の後は地元の有志によって小樽共商会が設立され、同28年の小樽商業会議所の設立時まで組織活動を行っている。
一方、札幌の場合であるが、前述のように明治22年7月、札幌・小樽の農工商業者が連係して農工商会を設立したが、同会解散後の同24年4月、北海道経済会が、さらに同年9月には札幌商業倶楽府(クラブ)が設立されている。同倶楽府は「商業市府を作り富国振商の実を挙くる」(創立趣意書)ことを目的として設立されたもので、明治三十九年に札幌商業会議所が設立されるまでの間、道都札幌における唯一の商業機関として活動していたのである(『札幌商業会議所八十年史』)。