前項までに詳しく触れたように、函館における最初の地域商工団体として多様な活動を続けてきた函館商工会が解散し、新たに函館商業会議所が設立されるのは明治28年のことであるが、商業会議所の設立運動それ自体は、明治22年の函館商工会設立直後から開始されている。それは、明治23年9月に商業会議所条例が公布され、それと共に、それ以前に国内で69か所の設置をみた勧業会組織(=商工会)の中で、農商務省の会議所認可基準の内規(所得税15円以上の納税者が会議所区域内に100名以上居住すること)に合致した商工会の多くが、あい次いで商業会議所を設立していった、という事情に起因していた(前掲『商工会九十二年史』)。
そこで、まず始めに商工会時代の会議所設立運動について述べておきたい。その最初の動きは、商工会の設立された翌年の明治23年11月のことである。即ち、11月4日、函館商工会の役員会が開催され、商業会議所設立問題を協議している。しかし、函館では「営業者一般ニ所得税実行セラレサレハ、会員ノ資格如何アランカノ疑問」が提起された。それは明治23年9月公布の商業会議所条例第5条では、その会員資格を「会議所設立地ノ商業者ニシテ所得税ヲ納ムルモノハ会員ノ選挙権ヲ有ス」と定めていたからである。そこで、この件について道庁長官へ伺書を提出することになり、この伺を受けて永山道庁長官は農商務省の斉藤商工局長へ照会したところ、逆に「所得税ニ代フルニ何ヲ以テスレハ適当ナルヤ取調上申スヘキ旨」の回答が寄せられ、函館区役所が各地の状況を調査することとなった。翌24年3月、区役所より函館商業会議所の会員資格問題で諮問を受けた函館商工会は、19日付で「収益金三百円以上并ニ内国税三円以上ヲ納ムル者二種ヨリ組織スルヲ適当トスル」意見を答申したのである。
同年5月、上京した平出副会頭は函館商業会議所会頭資格の件で農商務省商工局長に面会しているが、その際商工局長より「過半上申ノ収益金三百円以上トアルハ法律ニ抵触スルニ付帝国議会ニ提出シテ法律ヲ改正セサルヲ得ス。右ニテハ手数不少故ニ内国税ヲ基トシ、猶地方税ヲ加フルコトニセハ或ハ省令ヲ以テ定ムルコトヲ得ヘキカ。就テハ基主旨ヲ以テ書面ヲ直ニ本省ヘ差出サルル方宜シカラン」との助言を得た。そして7月4月、この内容に沿った農商務省の正式の回答、即ち「収益金三百円以上ノ件ハ法律ニ抵触スルニ付、猶一応研究ノ上上申スヘキ旨」が函館区長よりもたらされたのである。この結果、所得税法が未施行である北海道での商業会議所設立運動は、極めて困難なことが再確認されたのである。
しかし、さきに公布された商業会議所条例自体も、多くの不備な点を持っていた。このため、同27年頃よりその改正が論ぜられるようになり、翌28年3月、法律第23号をもって、同条例「第一条の商業者の範囲を拡大し、各種の会社および取引所に選挙権、被選挙権を認め」(『商工行政史』上巻)ることを骨子とする商業会議所条例の改正が公布された。とりわけ北海道に関係するのは第7条であった。旧条例においては「会員ノ選挙権ニ関スル財産上ノ資格ニ付テハ農商務大臣ハ地方ノ情況ニ依リ、省令ヲ以テ特ニ其所得税ノ等級ヲ定メ又ハ他ノ国税ヲ加フルコトヲ得」と定められていたが、改正条例第7条第2項で北海道に設立する会議所の会員資格が確定し、最終的には同年7月19日の農商務省令をもって「会員ノ資格ハ地方税三円以上ヲ納ル者ヲ以テ資格者ト定メラレタ」のである。その場合、北海道の地方税は戸数割税、地租割税、営業税、雑種税を含むものとされた。