このように盛業におもむき順調なすべりだしをみせていたが、翌16年1月をもって東京の共同運輸会社に併合されることになった。共同運輸の設立の背景は次節で述べるが、この併合の動きは15年中にすでに始まっていた。7月14日に堀社長は農商務省への呼び出しをうけ、共同運輸会社の構想を示された。その内容は北海道運輸会社に貸与中の船舶を全て新会社に貸与するというものであった。同時に堀もこの新会社の発起人として加わることになり、帰函後の8月25日に臨時株主総会を開いた。大半の株主は堀の動向を逐一了承しており、合併案も混乱をみずに賛成多数で可決された。政府が貸与した船舶を返還することを前提にしており、新会社の創立は、三菱独占の排除という意図のもとでなされ、函館経済界にとり、北海道運輸会社の廃止は海運手段の喪失にはつながらないという見通しもあり、こうした提案は受け入れられたのであろう。こうして16年1月に北海道運輸会社は共同運輸会社に併合された。