この他に七飯の勧業試験場内に製紙場(明治4年・美濃紙、半紙、塵紙などを製造)、水車場(明治10年・主に製粉、精米)、製煉所(明治6年・粉乳、乳酪など試製)などを設置している。また明治10年には臼尻村に官吏を派遣し、村民を雇用して鱈肝油を試製させた。同年3月に内国勧業博覧会に出品するかたわら内務省衛生局に送りその指導を仰いでいる。製品改良に努め外国品に匹敵するとの評価を受けたが、原料の一定供給が得られず事業の拡張にふみこむことができなかった。12年に作業費条例による資本を得て原料の確保のために範囲を拡大し、さらに13年になり臼尻など4か所に製造所を新設した。しかし、原料の入手難が依然として続き収支欠損となり15年に地元村民に分貸した。