燐寸

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 開拓使時代に欠損を重ねた燐寸製造業では、36年に至って富永太三郎が東雲町に工場を設けた。しかし、木造であったため、37年に道庁より営業停止を命ぜられたので、乾燥室を土造として38年に再び許可を得て始業した。職工は男子6名、女子38名であったが、大阪より雇入れた取締まりのほかはすべて年少者であったといわれる。38年の売上高対利益率は6.4パーセントであり、この成績はその後の数年も同様であった。