このように、ロシア当局の規制下にありながらも、わが邦人のカムチャツカ出漁が続き、かつ拡大の傾向にあったが、34年の出漁に対して、ロシア側では「従来ノ如ク堪察加ノ漁業監視ヲ寛ニシ殆ド無制限ニ之ヲ日本人ニ開放スルガ如キハ、自国民ヲ利スル所以ニアラズトナスノ議漸ク強硬ヲ加フルニ至レル結果、本年ヨリハ漁業監視官ヲシテ厳重ニ諸般ノ取締法規ヲ励行セシムルコトニ其ノ方針ヲ決定スルニ至リ」、前述した新規則の施行と相俟ってロシア側の漁業監視は益々厳重になり、前述した露国オットセイ会社による日本人漁夫使用特許の請願も退けられている。
一方黒龍江下流の日本人漁業者は、ロシア側の圧迫が強まるなかで、カムチャツカへ転出を図るものや、新たにカムチャツカへの邦人漁業者の進出を企てるものも現れ、同年の出漁は更に拡大することが予想された。しかし、ロシア当局の規制強化によってこの年に就航した船舶は汽船4隻、帆船40隻にとどまり、漁夫などの出漁者も1070人に半減した。
このような規制はロシアの漁業会社にも及び、日本人漁夫の雇用がほとんど不可能になったが、大工、缶詰職工などの名義で124人の漁夫を雇用している。また、日本側の出漁者もロシア人のみを使用して事業を続けることは困難で、そのため、ウラジオストクから漁夫を雇い入れる一方、多数の日本人船員を雇用して漁撈加工作業に従事させた。