表10-2 明治6年末の学校
ロシア語学校 | 変則中学校 | |
教 員 | 外人教師 1人 教授係 4人 | 教授係 7人 |
生 徒 | 入寮官費 2人 〃 私費 12人 通学 25人 | 通学 59人 |
学 科 | 歴史、算術、 地理学、語学 | 英語、算術 |
書 籍 数 | 137部 148冊 | 英・数 324部 343冊 皇漢翻訳 120部1990冊 |
明治6年「函館支庁一覧概表」より作成
結局6年末の函館には、「変則中学校」と「ロシア語学校」の2校の中学に類した学校が開校されていた。同年末の両校の状況は表10-2のとおりである。「権宜ノ所置」をもって決裁を得ずにロシア語学校と変則中学を開校した函館支庁は、6年11月、稟議を得るために、改めて両校の開校布達案と仮規則を東京出張所あて送付した(「開公」5563)。
東京出張所からは、翌7年2月、布達案と仮規則については文章の字句を改め、差し替えのうえ送付したという返事と共に、両校の校名を「府県一般ノ唱呼ニ傚地名相用、富岡学校・松蔭学校ト唱做候方可然」と、所在地の地名を付けロシア語学校を「松蔭学校」、変則中学校を「富岡学校」と改称しては、と提案して来た。これは、当時開校した中学校が「第何大区第何番中学」という番号名を用いていたのを、「便宜ニ因リ校名」を付けるようにと、文部省が6年4月布達を出して是正した(『明治以降教育制度発達史』)中央の動きに、開拓使も同調したもので、以後校名には所在地名がつけられることが多くなった。
7年6月9日、函館支庁はロシア語学校を松蔭学校、変則中学を富岡学校と改称し、従前の仮規則を更正して新たに規則を定め布達した(前掲「開拓使事業報告書 乾」)。