区内小学校の等科規定

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 「小学校令」に基づき、20年4月、庁令第17号「町村立小学校等科」により全道の小学校の等科が決められたことは前述したとおりである。これに基づき函館区は、翌5月小学校の等科改正に着手した。公立の弥生・宝両小学校は庁令のとおり尋常・高等科併設小学校と尋常小学校とし、私立小学校は鶴岡小学校を簡易科へ、ほかの小学校を尋常小学校および変則高等科併設の小学校とし、児童を学力に応じて改正の新学級に編入させた(「二十年函館区ノ学事ノ景況」21年2月28日付「函新」掲載)。こうして全道の95パーセントが簡易科の小学校となった中で、函館では公立小学校が2校しかなかったことも幸いして鶴岡小学校だけが簡易科ということで、ほかの小学校は尋常科以上の等科の小学校ということになったのである。なお附属小学校はこの年4月廃されている。
 スムーズにいった等科替えのように見えるが、実は、「小学校令」により小学校全体の改革が早晩実施され小学校が高等科と尋常科に区分されるだろうということで、前年の19年6月23日、函館区は「予メ其方向ヲ定メ、区内宝・弥生両校ハ高等、其他ハ尋常小学ト擬定シ、生徒入学ナド其目的ヲ以テ準備イタシ、今般試験後生徒編成ノ際、各小学校中学科以上ノ生徒ハ宝・弥生両校ヘ転校為致度候」(「函館県函館区小学校沿革史」)という通達文を各学校へ出し、区で等科を仮定し児童の移動を行なっていたのである。この時は、宝・弥生両小学校は高等小学校、そのほかは尋常小学校と仮定していた。
 ところが区の意に反し庁令では高等科の単独小学校はなく、かろうじて弥生小学校が尋常・高等科の併設小学校で、宝小学校は尋常科単独の小学校とされた。そのため前年の仮定により宝小学校の高等科に編入した児童を皆弥生小学校に移さなければならず、函館区は「啻ニ繁雑ヲ来スノミナラズ、爾後生徒ノ通学ニモ非常ノ不便ヲ来シ、為ニ教育上多少ノ影響ナキヲ得ズ」(明治20年「区会議事録」)とし、一つの便法として宝小学校を弥生小学校の分校とすることにした。こうして20年7月1日、宝小学校を弥生小学校宝分校となる旨が告示され、以後両校で高等科を教授することとなったのである。なお22年末には分離が提案され、翌23年1月から再び宝小学校として独立した。
 これらの19年から20年にかけての「本道教育ノ要ハ、簡易ニシ程度ヲ低フシ費用ヲ節シ労働ヲ生業トスル実業者ノ子弟ニ簡易ナル知識ヲ普及セシムルニ在リ」(前掲「学校設置廃合書類」)という北海道庁の教育改革に対する函館区の独自の動きを見ていると、前述の4公立小学校を廃校して私立小学校へとした動きは、単なる経費節減のためだけではなく、教育水準低下への函館区の抵抗であり防衛だったのではとも思われるのである。