日清戦争後の教育振興の気運にのって、33(1900)年8月、文部省は「小学校令」の全面改定をおこなった。この改定「小学校令」(以下第3次「小学校令」とする)は9章・73条からなっており、これに基づいた新たな学校全般にわたる詳細な規定「小学校令施行規則」も制定され、この時期の小学校は全国的に著しく整備されることとなった。
この第3次「小学校令」の大きな改革点は、近い将来に義務教育年限6年の制度を実現するための準備段階として尋常小学校の修業年限を全国画一的に4年に統一し、さらに修業年限2年の高等小学校をなるべく尋常小学校に併設することを奨励したことである。この義務就学の明確化にともない、市町村立の尋常小学校は授業料が廃止(37年度から全廃)となり、義務教育の無償制が確立、義務教育の国庫補助も実現し「市町村立小学校教育費国庫補助法」が制定された。こうして義務就学の規定の明確化とともに、財政的側面からの裏付けもなされ、尋常小学校4年間の義務教育制度の確立をみることとなったのである。
第3次「小学校令」が制定される前年の32年10月、函館は札幌・小樽とともに自治制の区制を実施した。30年11月の郡区制の廃止により31年1月から函館支庁の管理下に入っていた函館の学校も再び函館区の所管となった。こうして第3次「小学校令」は自治制の区制を実施した函館区に実施されたのである。