庁立函館商船学校

1269 ~ 1270 / 1505ページ
 33年来函した管船局長が33年度限りで函館分校廃止の意向を示した。函館では商業会議所の建議、全国会議所連合会の存続決議、貴・衆両院への請願と存続運動が盛んとなり、区会も「海員養生上国家事業トシテ保持スルノ必要アリ」として区の意見を大臣へ建議することを常設委員会で決議し、翌34年の同委員会は「現在土地建物及附属物ヲ借受ケ、区ニ於テ経費ヲ負担シ維持スル事」を決議した(明治33年10月以降「常設委員会決議書類」)。
 結局34年5月11日東京商船学校の函館分校は大阪分校とともに廃止となった(『学制百年史』)が、地域における海員養成の必要性や実業教育の奨励などを考慮し、函館分校の校舎・敷地など一切をそのまま借り受け、函館商船学校として北海道庁が再興することになった。34年11月2日、庁立の函館商船学校設置の件が認可され、同月25日「北海道庁立函館商船学校ハ明治三十四年十一月二十五日ヨリ開始ス」と告示があり、道庁所管の函館商船学校が開校した。函館分校は再び北海道庁立函館商船学校として復活したのである。なお函館分校と同時に廃校になった大阪分校は再興されることはなかった。