宗教主義に基づく女学校

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 この時期、函館のあるいは日本の女子教育の不備を補ったのが宗教関係者による女子教育だった。特に開港場で外国人が雑居していた函館にとって、キリスト教系の女学校が果たした役割は大きかった。明治に入って布教活動を活発に行なったプロテスタント系のキリスト教各派は、教師・医師など高度な教育を受けた者たちを宣教師として伝道布教の先頭に立たせ、教育活動や医療活動を通して布教活動を行なった(大濱轍也『明治キリスト教会史の研究』)。教育では特に遅れていた女子教育に注目し、虐げられた者としてその保護に手を差しのべた。大半は、本部からの資金援助をバックに無料で、女子に必要な裁縫や編み物さらには英語や各教科などを指導した。宗教主義に基づく俗人教育ではあったが、時任も前述の演説書でいっているように「教育ヲ受ケ工芸ヲ習ヒ知識ヲ磨クノ恩徳ニ至リテハ毫モ区別」はなかったのである。