「私立学校令」の波紋

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 これら宗教関係の女学校は、従来開設にあたっての法令の規定が無く、地方長官の設立認可のみで開設できるいわゆる各種学校だったが、32年公布の「私立学校令」により、以後これらの学校も「学校」として認可されることとなった。しかしこの学校令では「公立学校ニ代用スル私立小学校ヲ除ク外」就学義務のある学齢児童の入学は認めず、さらに同時に公布された文部省訓令第12号は「(前略)依テ官立公立学校及学科課程ニ関シ法令ノ規定アル学校ニ於テハ課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許ササルヘシ」(『明治以降教育制度発達史』4)と宗教と教育の分離を規定し学校での宗教活動を禁止したため、これらの女学校には、宗教を捨て法令に規定された私立「学校」となるか、あるいは従来同様各種学校のままでいるかの選択が迫られた。
 この学校令および訓令の公布は、改正条約の実施により外国人経営の私立学校が増加するだろうという想定のもとで、その対応に明確な態度を打ち出しておく必要に迫られての対応だったが(『日本婦人問題資料集成』教育)、前後して区内の宗教系の女学校は表10-18のように整理された。大半が収容人員の多かった小学部を生かして私立小学校へ組織替えをしたが、遺愛女学校と靖和女学校は宗教教育を貫き、併設していた小学校を廃止し各種学校の道を選んだ。
 
 表10-18 明治32年前後の私立女学校の改正
改正前    → 改正後
遺愛女学校  → 遺愛女学校(各種学校)、併設の小学校廃止
靖和女学校  → 靖和女学校(各種学校)、併設の小学校廃止
聖保祿女学校 → 元町女子尋常高等小学校、聖保祿女学校(各種)新設
正教女学校  → 正教女子小学校(まもなく廃止)
六和女学校  → 六和尋常小学校、六和女学校(各種)併設
吉祥女学校  → 吉祥尋常小学校、吉祥女学校(各種)併設

 『北海道庁学事年報』・「函館資料三」『河野常吉資料』(北海道立図書館蔵)より作成