翌11月8日には「函館師範学校規則」(『布類』)が布達された。この規則によると、生徒は官費・町村費・私費生に分けられ、16歳~35歳の中から試験(国史・漢史・翻訳書・算術・作文)で選抜された。選抜後はまず試験生として仮入学し、成績や行動などが調査された後に本入学が許された。伝習所時代と比較すると退学者を減少し生徒の質を向上させる方向に向かったのである。官費生には伝習所時代同様月額5円の給付があったが、奉職義務は3か年と短縮された。師範学科は18科を2か年4期(1期6か月)で修得した。伝習所時代の6か月に比較するとかなりの延期である。学年は9月始業7月終業で、第1期(9月1日~2月15日)から第2期(2月19日~7月末日)へ進級する時に定期試験、第1学年から第2学年へ進級する時に大試験が行なわれた。また校名の改称と同時に、師範学校専任の教師を″教諭″と改称し、教諭陣の体制も整えた。教諭の構成は表10-19のとおりである。
表10-20は小学教科生徒数の推移である。函館師範学校と改称後の14年には、一挙に59人の入学者を得、さらに12、13年とゼロだった全科卒業生も21名送りだすことができた。しかしこれではとても教員の必要数を満たすことはできなかった。当時管内では小学校の新設が続き年々100名を下らない教員を必要としていたのである(明治14年「取裁録」道文蔵)。そこで官費生を増員し毎年40名の卒業生を送り出すようにするなど(同前)、教育の将来を左右する教員の質と数の確保への努力が続けられたのである。
表10-19 明治13年函館師範学校教諭陣
等級 | 月奉 円 | 氏名 | 前歴 |
監督 2等教諭 3等教諭 〃 〃 〃 〃 〃 4等教諭 〃 〃 | 25 25 23 23 23 20 20 20 15 15 15 | 村岡素一郎 素木岫雲 尾古謙蔵 前田憲 岡本利平 青野伊諧 吉田元利 杉沢吉太郎 鈴木重直 大庭俊太郎 井上小四郎 | 東京師範卒 同上 同上 同上 東京師範卒 東京師範卒 |
『函館師範学校第一年報』より作成
表10-20 小学教科生徒数推移
年 | 入学 者数 | 退学 者数 | 卒業 者数 | 在校 者数 |
明治 9 10 11 12 13 14 15 16 17 | 42 0 0 25 11 59 20 50 16 | 14 7 0 2 3 13 8 7 6 | 2 11 8 0 0 21 0 22 13 | 26 8 0 23 31 56 68 89 86 |
『函館師範学校第一年報』より作成