『函館教育会雑誌』の創刊

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 かくして、函館教育協会自身による始めての機関誌『函館教育協会雑誌』第1号が刊行されたのは、同15年10月1日のことである。同号「緒言」は、協会の機関誌を「舟車」に例えながらその発刊の意図を「言論思想ニ富ムト雖ドモ、舟車運輸ノ便ナクンハ奚ンソ其目的ヲ暢達スルヲ得ンヤ。(中略)切ニ望ム、会員諸君自今舟車運輸ノ便ニ頼リ、互ニ思想ヲ交換シテ以テ本会ノ旺盛ヲ謀ランコトヲ」と述べている。
 また、幹事の前田憲も「祝詞」を寄せ、同年6月から9月にかけての『北海道学事新報』の休刊と新たな会誌創刊問題をめぐる内幕を明らかにしつつ(前田自身は、当初会誌の発行に「反対説ヲ持セシ」立場にあった)、今後刊行されるであろうこの会誌は、「会員諸君ノ意見業ニ一決シ編輯委員已ニ其人ヲ得タレハ爾来続出スル所ノ冊子ハ亦必ス完全ノモノタルヲ信スルナリ」と述べて、その自信のほどを見せている。
 最後に初期の会誌刊行状況をみると、第1号(10月1日発行、150部)、第2号(10月30日発行、180部)、第3号(11月30日発行、180部)、第4号(12月30日発行、170部)となっている。このようにして、以後の『函館教育協会雑誌』は、協会の機関誌としてそれなりの発展を遂げていったのである。