してみれば、北海道近代の寺院開教=地域開拓=文明開化という構図が、函館を初めとする北海道寺院の内部に釀成され、実際に顕現化されていたとみていいだろう。
このように、近代において仏教寺院は己れの宗教的立場の劣勢を克服すべく、ある意味では、かなり大胆な開教計画を練り上げ、部分的とはいえ、その精神に拠りながら実践していった。しかし北海道開拓の総体がそうであったように、そうはかばかしく計画が進捗したわけではなかった。北海道開教もどちらかといえばペースの遅い開教の道程であった。
そこで、前の松前城下寺院による寺院開教=地域開拓を近代北海道開教史における第1次開教、明治初年の泉涌寺・増上寺による寺院開教=地域開拓=文明開化を第2次開教とするなら、第3次開教とは如何なるものであろうか。