私立病院の開業

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 函館に初めてできた私立病院は、明治15年5月に恵比須町の開業医岡田勇之助が同所で開設した「生々病院」である。11日の開院式を報じた5月12日の「函館新聞」によれば病室は7室で、すでに男女15人が入院しているという。近辺の人たちが急病などのおりに利用できるのが大きな魅力であったようである。続いて同年10月には、やはり市中の開業医であった、長野祐碩と山中友伯が同じく恵比須町で「黴(ばい)毒病院」を開いた。名称の通り黴毒患者を対象にした病院であったようで、開業広告では「凡黴毒患者タル者、毎日午後一時ヨリ四時マデ来リテ診察ヲ請フベシ」(9月30日「函新」)とある。明治20年代半ばから、公立病院を辞職した深瀬鴻堂や後藤厚が私立病院を開設するなど、その後も激増傾向にあった。ところで全国的な規模での私立病院の増加傾向について、菅谷章氏は『日本の病院』で鋭い指摘をしている。すなわち政府の財政的理由で多くの基幹産業が、官営から民間に払い下げられた時期、他方財政の逼迫を理由に多くの公立病院も廃院に追い込まれた。これが客観的には私立病院の設立を助成する結果をもたらしたというのである。そしてこの時のこうした国の医療政策に対する態度が、明治20年代からの営利的民間病院の隆盛を引き起こしたというのである。函館では先に述べたように、もともと官立の函館病院が廃止され、最終的には函館区が経営する病院にされたり、詳しくは次の節で述べるが、函館病院付属の医学校が廃止のやむなきに至るなど、確かにそのしわ寄せがみられる。