函館では早くからキリスト教の活動がみられたが、その一翼を担うものに施療事業があった。明治11年に来函した、シャルトル聖パウロ修道女会の3人のフランス人修道女たちは、元町教会の隣の木造の洋館を居とし小さな薬局と施療院を設けた。その中心であった修道女オネジム(Onesime)は、当時はやっていた皮膚病のための膏薬を調合し、これは「ガンガン膏」などと呼ばれて有名になった。その後21年には嘱託医として田沢謙がむかえられ、32年からは替わって元豊川病院にいた上浜虎吉が院長となった。この時から施療院は「博愛病院」と名をかえたが、創立から一貫して貧しい人々の医療に貢献した功績は大きい(『受賞に輝く人々』)。
また、聖公会の医療宣教師として来函したカルバン(Colborne,W.W.)は、31年に東川町に施療病院を創設した。後に貧しい人々が多かった新川尻に移転し、名称を「新川病院」とした(『日本聖公会函館教会資料集』)。これらキリスト教系の病院は、既存の医療体制では救われなかった底辺の人々にとって、まさに一筋の光明であった。