旧来歯の治療に関しては、専ら、入れ歯抜き歯師、入れ歯細工師などと呼ばれる人々が行っていた。それが歯科医として確立されるのは、明治16年の医術開業試験規則の制定による。函館での歯科医第1号は、大月亀太郎で、9年から函館で開業していたが、13年に開拓使にただ1人「口中科専門」の仮免許を申請している。15年には「函館新聞」に歯科医の肩書きで移転広告が掲載されている。統計数字でみる限り、明治年間の歯科医は2~6名と極めて少なかった(『函館市史』統計史料編)。ただ、東京の歯科医がある期間滞在し、診察をするという広告も見られ(明治18年7月18日「函新」)、地元の医師を補完していたものと思われる。