こうして新しい形の公娼制度が函館をはじめ全国各地で確立していった一方で、14、5年頃から始まった一連の廃娼運動の盛り上がりに押され、政府はついに33年10月2日、自由廃業の規定を明文化した「娼妓取締規則」(内務省令第44号)を布達、それまで各地バラバラだった娼妓取締に対し、基準となるべき全国統一の規則を布達した。これにより地方庁の権限によって各地方限り行われていた三業(貸座敷、娼妓、芸妓の3営業をまとめて三業という)取り締まりが、「解放令」布告以前のように再び政府が取り締まりに関与することとなり、政府監督下の公娼制度が再確立するにいたるのである。
次にその28年間、つまりここで″新しい公娼制度″としてとらえている地方庁の権限下での公娼制度時代の函館の動きを三業規則の変遷を追いながらみてみよう。