坂井フタの自由廃業訴訟

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蓬莱町遊郭入り口 三楼の建物が目につく、明治35年頃のものと思われる

 
 33年2月大審院は、函館の娼妓坂井フタが貸座敷主山田精一に対し起こしていた娼妓廃業届書への捺印請求事件について「貸座敷営業者ト娼妓トノ間ニ於ケル金銭貸借上ノ契約ト、身体ヲ拘束スルヲ目的トスル契約トハ各自独立ニシテ、身体ノ拘束ヲ目的トスル契約ハ無効ナリ」として、函館での原判決を破棄し、函館控訴院へ差し戻すという判決を下した(『日本婦人問題資料集成』人権)。
 この事件は、娼妓坂井フタが貸座敷主山田精一より金銭を借り、この返済のために向こう30か月の間山田方へ寄留の上娼妓営業をし、その揚げ代金を以て返済にあてることを諾約したが、その途中で正業に転業したいとして貸座敷主山田精一へ廃業届書への連印を求めた。しかし貸座敷主が拒否したため、フタが裁判所へ訴えたである。
 函館での一・二審はともに、貸座敷主へ寄留の上娼妓営業の収入での負債返済は「各独立の営業主が任意に為したる一種の労力契約に属し」正当な契約であるとして、契約履行完了までは貸座敷主へ廃業届書への連印を請求することはできないとした。しかし大審院は「金銭貸借上の契約に関し身体の拘束を目的とする契約をしても、両者(金銭貸借上の契約と身体の拘束を目的とした契約)は独立した契約であり、身体を拘束する契約に至っては身体は法律上契約の目的物になるものではなく、明治五年の布告の精神からも許すべからざるもの」であり、「その地方行政上の規則により廃業の時に連印を要するものならばその請求を許容すべきものであり、原判決がこの契約を一般雇用契約と同一視してその請求を排斥しているのは法則を不当に適応した違法の裁判である」として、原判決を破棄して函館控訴院へ差し戻した(同前)。その後函館の控訴院では「廃業届書ヘ調印スベシ」と原判決を変更し、新たに貸金請求訴訟事件として両者間の問題が函館地方裁判所で扱われた。
 この大審院の判決により、以後娼妓営業において慣例となっていた債務弁済のための債務者(貸座敷主)方での営業は無効となり、娼妓は貸座敷主に対する借金の有無とは関係無く、いつでも廃業できることになった。そしてこの坂井フタの判決が全国的に拡大しつつあった自由廃業・廃娼運動への大きな布石となり、33年10月には内務省令による全国統一の「娼妓取締規則」が出され、「娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ爲スコトヲ得ス」と自由廃業が明文化されたのである。