女紅場開場

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函館女紅場本場全景 北大図書館北方資料室蔵

 
 こうして11年5月1日蓬莱町遊郭の1区画(蓬莱町75、現在の護国神社坂下付近)に女紅場が開設、200余名の芸娼妓が参加して賑やかに開場式が行われた(5月2日付「函新」)。
 この開場に先駆け4月19日「女紅場規則」(『布類』)が布達された。この規則によって女紅場の大要を追ってみると、まず女紅場は日用工業の習熟に主眼が置かれ、工芸を本科とし学業を余科とした。なお安井マサが就任後は余科の学業にも力を入れている。本科各科(裁縫、紡織、洗濯、学業)を3級に分け、課業時間は冬期間(10月~翌年3月)は午前9時~午後2時まで、夏期間(4月~9月)は午前10時~午後3時までで、成績(試験)は生徒の作品の出来具合で決定された。役員構成は、一切の責任者である総取締1名(戸長が兼任)、製品の売り捌きや依頼品の扱い担当の支配人2名、会計1名(三業取締兼任)および各教師(紡績、裁縫、洗濯、学業)となっており、彼らの給料や筆墨料をはじめそのほか一切の費用はすべて賦金で賄われ、残金は積み立てた。生徒の工芸からの益金は女紅場の収入とはせずに3等分し、3分の1は本人渡し、3分の1は機械などの購入費に充て、残りの3分の1は蓄積し生徒が正業につく時に各自へ渡すこととした。
 女紅場開場後、「函館新聞」には次のような製品依頼募集の広告が何度か掲載された。
  男女衣類其他裁縫洗濯物等御頼みなされ度き方は、当場へ相詰居候支配人へ御面談くださるべく候也
         五月        函館蓬莱町   女紅場
 生徒たちは市民からの依頼品を受けながら実習を兼ねて技術を身に付けていったのであるが、この依頼品から生じる益金は前述のとおり総て女紅場内で処理した。たとえば13年度上半期(7月~12月)で生じた益金は38円93銭6厘(内27円50銭が洗濯によるもの)、この益金の3分の1にあたる13円ほどが生徒の芸娼妓たちに渡されることになる。具体的にはこの金額を労働(出席)延べ日数で日割りし、それを1人1人の労働日数に応じて分配するもので、多い人では6か月間の労働日数26日で31銭5厘9毛、少ない人は1日で1銭2厘1毛5分となっている(明治13年「女紅場書類」道文蔵)。
 なお女紅場規則は地方税と賦金の関係などから13年に一部改正された。