明治期になって各種の雑誌が続々と刊行されるようになるが、その中でも明治7年創刊の『明六雑誌』、明治9年創刊の『東京新誌』、明治10年創刊の『於東京絵団団珍聞(おとけえまるまるちんぶん)』などは著名なものである。
加藤弘之、中村正直、西村茂樹、福沢諭吉など高名な啓蒙思想家達が論陣をはった討論雑誌として華々しく登場した『明六雑誌』は長続きせず、創刊の翌年、政府の言論弾圧政策に沿った「新聞紙条例」、「讒謗律」の制定を契機とし、11月発刊の第43号をもって廃刊になってしまった。しかし、明治時代の諷刺漫画「ポンチ絵」の源流として知られるイギリスの滑稽絵入り雑誌『ザ・パンチ』に類似した『団団珍聞』は政治批判や社会諷刺の記事による度々の筆禍にもめげず、明治40年頃までは発刊が続いていたのである。