さて、この仮博物場は開館以来大勢の入場者で賑わっていたが、次のような新聞記事によってそこに集まる人々の様子の一端をうかがうことができる。
在々村々より翁媼の函館見物に出懸け来る族は、何れも名高き公園地并びに博物館を随一の見ものと心得おるはいいが、往々「ハクブツクワン」を仏寺と思ひ違ひ、先づ公園に来り水茶屋に腰打掛る前、遥かに該館を眺めては合掌して南無阿弥陀佛と数度唱へ、夫より腰打掛て茶屋の者に賽銭の相場から題目の唱ひようなど逐一尋ぬる者あるゆえ、茶屋ではおかしさを堪へ、イヤ々々是はお寺ではありませぬ、博物館と唱へ凡そ世の中の珍らしき物は何にまれ集めて広く世の人に見せらるる為め御上で建られしものゆえ、決して賽銭などの心配は入り申さぬと教へてやるもの往々幾人もあるといふ (明治十二年七月十五日付「函新」) |