では次に、戒厳令下の函館において、政府・軍と区民との間に介在して、「臨時戦時事務」の遂行にあたった函館区役所の事務吏員の「日誌」を紹介しながら、函館の市民生活の一端を窺ってみよう。
この「日誌」(但し抄録)は、その冒頭で明治37年1月、大湊水雷団本部が函館区に移されたという記述から始まっている。そして、水雷艇隊、守備艦の入港に加えて、函館要塞や同要塞砲兵大隊も「非常勤務」に就いたため、函館の街には一挙に緊張感が漲ったようである。
こうした中で1月27日、函館区長以下の有志者が中心となって「国家ノ為メ献身的勤務ニ服スル在函海陸ノ将卒」を慰問、感謝の意を表するために募金活動が開始され、2月5日までに「八百拾余円」に達しているが、この醵金により「海陸二軍ニ物品ヲ寄贈」した。