函館市長 矢野康
函館市長 矢 野 康
昭和四十八年十二月一日、函館・亀田両市多年の懸案であった合併が成り、三十余万の人口を擁する新しい函館市として大きな一歩を印してから四年有余を経ました。
これよりさき、函館市におきましては昭和四十一年函館市史編さん審議会が発足し、同四十五年五月市からの諮問に応じて答申があり、同年十月市史編さん事務局を設けて編さんの体勢が整い、史料編二巻の発行をみております。
一方、亀田市におきましても昭和四十七年七月以来亀田市史編さん準備調査委員会によって種々検討が加えられておりましたが、翌四十八年亀田市史編さん審議会が発足して編さん準備が進められていたのであります。
両市合併の機が熟してまいりました四十八年十月末、亀田市史編さん審議会長から函館市史編さん審議会長あてに、両市合併に伴う亀田市史編さんの継続について要望書が提出され、函館市史の「通説」の中に「亀田市編」を別巻として発刊するようにとの趣旨の申し入れがなされました。
函館市史編さん審議会におきましてはこの要望について審議の結果、その趣旨を編さん計画に取り入れて刊行するよう取り進めるという結論に達し、以後鋭意編さん業務が続けられておりました。
編さんにあたっては亀田市の編集方針を中心に、編項目の構成等について監修者のご意見もお聞きし、執筆に当っていただく方についても亀田市における過去の経緯にしたがい、その路線に沿って進めてまいりました。
合併によって光輝ある亀田の歴史がうずもれてしまうことを惜しむ亀田地域の人々の願いもこめられた編集でありますが、資料等は必ずしも十分とはいえず、執筆にも多くの困難が伴いましたが、さまざまな努力が傾注されまして、ここにようやく刊行のはこびとなったのであります。
両市は古くは亀田郷と総称された地域に包摂されていたのでありますが、亀田は農村として大地にいどむ歴史を歩み、函館は港を擁してそれぞれ独自の発展をたどりつつ表裏一体の関係を保ち、特に近年は亀田地域の急速な都市化によって、両市の境界は事実上ないに等しいといってよいほどの状態になり、地縁的な関係は一層深められていたのであります。
このような過程にあって、亀田の今日を築きあげるため、父祖の歩み続けた道は決して平たんなものではなかったのであります。その足跡をたどり、その偉業を後世に伝えて未来への無限の発展へつなぐかけ橋として、本書が果たす大きな意義に期待してやみません。
発刊にあたり、監修に当られました高倉新一郎氏、貴重な資料を提供せられてご協力を賜った関係機関ならびに各位に対し、深く感謝を申しあげる次第であります。
昭和五十三年十月