前亀田市長 吉田政雄
前亀田市長 吉 田 政 雄
私は青年のころ、亀田小学校に十五年間勤務していましたが、亀田と函館の歴史については特に関心が深く、両者は歴史的にも地理的にも不離一体であるという点を確かめました。
昭和四十二年の首長選挙において、函館と亀田の合併を主張して当選し、続いて四十六年にも町民大多数の支持を受けて再選しました。
機会あるごとに函館市との合併問題を取り上げて、住民の賛同をお願いしました。年頭のあいさつには、合併について触れることを例にして住民に呼びかけました。皆さんから「合併町長」「合併市長」という名をいただいたり、また反対的な立場の方からは激しく非難もされましたが、大多数の市民が合併を希望していたことでもあり、亀田の行くべき道は函館と一体化することであるという信念が強まるのみでした。
しかし、合併問題解決のためには難関が多く、応援してくださる方でさえ合併実現に対して悲観的でしたが、私はひたすら合併を切願し続け、四十八年十二月一日、ついに市民多数の賛成を得て合併実現を見るに至りました。相共に協力し、苦労を重ねた矢野市長と感激の握手をしました。
合併は私の生涯において建立した最大の記念塔といってもよいと思います。合併により亀田と函館は本来の姿に立ちかえり、一つであるべきものが二つに分かれていた不自然さを解消したものともいえましょう。合併問題は私の政治生命をかけたものでした。
合併しても亀田市の名は函館市の中に生き続け、永遠に消えることはないでしょう。それは歴史的に亀田は函館とともに歩み続けたという一体観に基づくからであります。
亀田市史はもっと早く発行されるべきであったと思いますが、いろいろな都合で遅れていました。四十七年に至って教育委員会がこの仕事を担当し、亀田市史編さん準備調査委員会が構成され、この答申を受けて翌四十八年度に市史編さん審議会を設置しましたが、合併により函館市史編さん事業と一体となりました。
その後は函館市のご好意により、編集をすすめ、この度刊行の運びになりましたことは、私にとって感慨新たなものがあり、また感激にたえません。旧亀田市民とともに心から感謝申し上げます。
亀田市の歴史が奇しくも函館市によって刊行されるようになったことも、一体になるべき運命であったとさえ考えられ、亀田を愛し函館を愛する多くの皆さんとともに、亀田の歴史を通して未来への夢を大きく伸ばしたいと思います。
昭和五十三年十月