このようにして桔梗野の開拓を始めたのであるが、開発地点は台地のため水が得にくいこと、更に桔梗野と七重浜方面を結ぶ道路がなく、しかも湿地で排水状態が非常に悪いことなどが開拓上の問題となった。
そこでこれらの問題点を克服するため念仏沢とタタラ沢から給、排水溝を建設することになり、万延元(一八六〇)年八月着工、幅五尺(一・五メートル)、深さ三尺(九〇センチメートル)、延長一里半(約六キロメートル)の給排水溝を、工費三九一両で翌万延二年七月に完成させた。
この給排水溝の水は、以後桔梗村の田畑を潤し、精米、製粉の水車の動力源としても利用され、後の桔梗村発展の原動力となった。
一方桔梗、七重浜間八百間(約一、八四〇メートル)の道路工事も同時に着工され、幅五間(九メートル)、両側に幅六尺(一・八メートル)、深さ四尺(一・二メートル)の排水溝を設け、道路には砂利を入れ、道の両側に柳千五百本を植樹し、総工費二、八四〇両を費やし、万延二年七月竣工した。